愛徳姉妹会とは

聖ヴィンセンシオの愛徳姉妹会は聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ(1581〜1660)と、ルイズ・ド・マリヤック(1591〜1660)によって、1663年11月29日に創立され、1668年6月8日教皇クレメント9世によって認可された、使徒的生活の会です。

 

二つの大きな出来事が、彼の生涯に進路を与えたのです。
1617年1月、臨終の農夫の枕辺に呼ばれ、秘跡を授けたヴィンセンシオは、その地方の百姓たちの告白を聞いて心を揺り動かされました。
ヴィンセンシオは貧しい農民たちの霊的みじめさを発見したのです。
同年8月、貧困のどん底にある家族の援助を頼まれました。この事を教区の人々訴えたところ、人々はその家族のところへ行き、その極度の貧しさを見たのでした。
ヴィンセンシオは福音宣教に先立ち、貧しい人々の生活状態を整えることが先決問題であると気づき、またその人々との連帯性を強く感じました。
そこでヴィンセンシオは最初の愛徳婦人会を設立しました。

 

 多難な幼児期、少女時代を通したルイズ・ド・マリヤックは、母を知らずに育ち、父親も12オの時に失いました。アントワーヌ・ルブラと結嬉し、一子をもうけましたが、その子を育てるのに非常に苦労しました。結婚生活12年にして寡婦となりました。
1623年の聖霊降臨の日、ルイズ・ド・マリヤックは将来を告げる「光」を受けました。その光とは‥‥‥。
《私は小さな共同体の一員となつて‥‥、隣人に仕えるために街を往き来することになるでしょう》
1625年頃、彼女はヴィンセンシオに出会い、彼の助けで、他者に、貧しい人々に、自分を開くことができるようになりました。
 ルイズ・ド・マリヤックはパリの愛徳婦人会に加わっていました。ヴィンセンシオは彼女を自己の福祉活動に参与させ、パリ郊外に設立された愛徳婦人会の視察をさせました。
 ルイズ・ド・マリヤックは女性としてもっている才能も信仰、知識、教養などもすべて奉仕に用いました。ヴィンセンシオも彼女もできごとの中に表わされている聖霊のしるしに注意深くありました。

 

会員は貧しい人々のうちにおられる主に仕えるために、
兄弟的生活をする共同体において、神に自分自身を捧げ、
場所や仕事をえり好みせず、いつでも主の呼びかけに応じる用意があります。